子どもたちに教え教わる「共育」— 故郷・外房で次世代の個性と力を引き出す
こまちだ たまお さん
美術家
PROFILE
絵を描く人、美術を通じての共育活動人。東京藝術大学美術学部修士課程油画専攻修了。1998年より地元千葉・上総一ノ宮でたまあーと創作工房開室。2019年株式会社いろだま設立。幼保育園・特別支援学校・障害者福祉事業所・児童養護施設・商業施設などで、アートを通じての学びと表現の機会を作るワークショップ活動をつづけている。
アートの授業は絵の描き方でなく個性を引き出すこと
――美術を通じての共育活動人。どのような経緯でこちらの肩書を使うようになったのでしょうか?
わたしは、小さいころから絵を描くのが好きで、家でもよく描いていました。
中学3年生のころに美術大学を目指したいと母に言ったら、「美大に進んで何をするの?」という言葉が返ってきた。そのとき心に浮かんできたのが「子どもに関するなにかをしたい」でした。
大学2年生の夏に、学内で子どもむけの造形教室の求人を見つけ、アルバイトを始めたのがこの世界に入るきっかけですね。初日にはもう、「子どものことを仕事にしながら、作品制作をしていきたい」と考えていました。
――大学生の時に造形教室の講師を始めて、卒業後はどう歩まれたんですか?
自分の教室を持つことは考えていましたが、活動を始めてから10年間は資金を貯めながらノウハウを学ぼうと考えていたので、いろいろなお仕事もしましたね。結果的に子どもたちを教えるアルバイトを始めて7年目、大学院を修了してから1年目で生まれ育った一宮町に戻ってきて、教室を開くことになりました。
――活動内容を拝見して、たんに絵の描き方を教える教室というのではなく、地元の環境について考えたり、共に生きる社会の下支えになるような教育をしたいというのを感じます。当初からそういった目的意識があったのですか?
はじめは、それほどはっきりしていなかったのですが、子どもたちに対峙していくうちに、何を伝えればよいか考えるようになりました。コンセプトをしっかり持つということです。大学では、教授陣から「この作品のコンセプトはなにか」と徹底して言われましたから。これは大学で学んだことですね。
わたし自身の体験なのですが、小学生の絵画コンクールがあって、わたしが通っていた小学校はよく入選していました。ですが実際はコンクールで評価されやすいように教師が指導したり、子どもが描いた絵に手を入れた作品が賞を取ったりしていて…。その様を見て子ども心に傷ついていましたね。そういうことはアートの授業ではないだろうと思っていました。
それでも絵が好きだから、自分なりの絵を描き続けていた。そうしたら賞には入らなくなる。
絵の描き方じゃなくて、個性を引き出すことが大事なんじゃないかと思わせる経験でした。こういったことも「美術で共に育む」につながっています。
「美術を通じての共育活動人」は、教室をはじめて2、3年後には使い始めていたと思います。
地元である一宮町を知ることは、将来の冒険への第一歩
――地元のことを子どもたちに伝えたい。これを大切にしていらっしゃるように思いました。
そうですね。教室を始めて23年経ち、生徒のなかにはもう子どもがいる人もいます。子どもたちのほとんどは成長して地元を離れてしまうんですよね。外国に行った子もいます。わたしは、自分の生まれ育った町がどんなところなのかわかっているからこそ、安心して離れられるのだと考えています。そして安心して戻ってこられる。
やはり、子どものうちに自分のアイデンティティを知っておくというのが、将来の冒険の第一歩だと思いますので、一宮を伝えることを大事にしています。房州砂を使ったり、コウモリの沢山いる人工洞窟を探検したり、実物大のウミガメオブジェを作るワークショップをやったり。
東京オリンピックの会場近くの小学校は1学年につき、もともとの地元の子たちが1割くらいで、あとは移住してきた子が多いからというのもありますね。釣ヶ崎海岸がサーフィン会場に決定してからは、サーフィン移住される方もいます。コロナになってからは違う形の移住も増えてきたように感じます。都心のテレワークができる企業に勤めている方で、子どもたちを連れて引っ越してくるご家庭もあります。
――実は先程、海岸を見学してきました。浜に出ると雄大な水平線がひらけていて、これが対岸の大陸までつながる太平洋の広さかと見いってしまいました。
そうですね。この太平洋の向こうはもうアメリカ大陸です。なので、戦時中には海岸からの上陸決戦に備えての訓練があったと聞いています。また、海岸一帯には旧日本軍の風船爆弾の発射場所がありました。そのような歴史、過去を抱えた場所でもあるのです。こういったことも機会があると、子どもたちに伝えています。
エマージェンシー〈危機〉が人を育てる
2009年からは児童養護施設でワークショップを実施しています。
昨年は新型コロナウイルスの流行に伴い、この教室も施設のほうも一時期オンラインに切り替えました。
――それは大変工夫されたんでしょうね。
もうそれはそれは工夫しました。宿題を考えて梱包してひとりひとりに送ったり。
――実際にオンラインのワークショップをやってみて、どう感じましたか?
やっぱり伝わりづらいところがどうしても出てしまいますね。材料を受け取って、遠隔で手順はこういうふうにしてとやらなけばいけませんから。そういった難しさはありましたが、オンライン形式であっても繋がっているという実感があるのは、大きなことだったのではと思いました。今後もオンラインでの活動はコロナに関わらず増えていくだろうと思います。例えば海外と結ぶとか。様々な学びの場を増やしていく上では、オンラインは選択肢に出てきますから。
学校自体がなかなかオンライン授業に対応していけない。そうするとこういった塾がまず応じていくことになります。今回の経験が子どもたちにとって、少しでもオンラインで何かをすることの扉を開くきっかけになればいいかなと思っています。
――子どもたちの反応はいかがでした?
最終的には対面のほうががいいと言ってくれました。ただ、ADHDの子の方はオンラインが向いているなと思いました。自宅という安心できる場所で新しい情報は端末だけ。もうここにある画面だけじゃないですか。だから集中できる。
オンラインとリアルのハイブリットにしたときは、オンラインでやっている子たちにも、教室にいる子たちにもお互いが分かるようにしました。教室では授業画面をスクリーンに映写して、教室の様子はスマホで撮影して中継しました。ひとりでやっているのではないよというのが伝わるように、場を一体化させようと努めました。子どもたちもハイブリットに慣れてくると、画面越しにお互い作品を見せあいっこしたり、画面を通じてふざけあったりしていましたよ。
――新しいかかわり方ができていたんですね。
実際にやってみた気づきとして、たとえば、小児病棟にいて外出できないお子さんとも一緒に活動できるなあと思いましたね。
失敗してもいい そこにこそクリエイティブがある
――オンラインを利用することで地域が広がっていきますね。
コロナ禍でなくとも、そもそも出られない状況の方がいらっしゃる。そういった方ともアートで繋がれるなあというのを思います。
なにか困難に遭遇した時に、ただ困ったと言っているのではなくて、そういう時に動くからこそ、よりクリエイティブになれるのだと思います。エマージェンシーが人を育てます。だから子どもたちには「失敗していいよ」と言うのです。どういう風に回避したか、乗り越えたのか。そこが最もクリエイティブなんです。
――たしかに逆境のほうが、何かをひねり出そうという意欲が出てきますね。
そこで心を作っていくんだと思うんですよね。もともと子どもたちにはそういう力があるんです。こちらの立場は指導というよりファシリテートに近い部分があると思います。こちらの思惑と違うからといって、子どもたちがやろうとしていることを排除しない。そのうえでどんなものが生まれてくるのか。そこが楽しみです。
教室から広がるネットワーク
――教室をこまちださんだけでなく、ネットワークを広げてチームでやっていくというのは素晴らしいですね。ひとりと違ってチームでやっていく大変さがあると思うのですが。どう発展してこられたんですか?
今は月1、2回の人を含めて11人くらいでやっています。ただ、最初の8年はひとりで全部やっていましたし、当時はひとりでやっていこうと考えていました。でもちょうど結婚して子どもを持つ少し前に手伝ってくれる方がいたのです。その方が、生徒が拾ってきた捨て猫の面倒を見に来てくれると同時に、教室を手伝いに来てくれるようになったんですね。
その後わたしも子どもを持ち、ひとりではやっていけない状況になりました。教えていた生徒たちは大学生くらいになってきましたから、アルバイトで入ってもらうようになりました。
わたしもこの仕事のきっかけはアルバイトでしたし、それをそのまま仕事にしています。アルバイトも徹底的にやれば、ものすごく大きな学びの場になりますし、子どもたちには学校の教室以外での学びの場を持たせてあげたい。そして、ちゃんとお仕事として渡せるようにしたいなと考えています。
今、スタッフで入っているのは、元々お子さんが通っていたとか、そういう方がほとんどです。今日は子どもが熱出ちゃったからお休みしますとか、介護があって…とか、お互い持ちつ持たれつで、それぞれ置かれてる状況をシェアできたらいいよねという思いでやっています。わたし、本当に皆さんには面倒をみてもらっているので(笑)
――教室を運営する中でご縁が広がってるんですね。
福祉事業所でのお仕事のきっかけは生徒の保護者の方がきっかけになったことがほとんどですね。そういう関係から始まって、未だにご縁が続いて仕事に繋がっています。
今お仕事で少しづつ進めさせていただいている中には、ひきこもりで8050問題の対象になる方のことがあります。
美術に興味を持っている方で、気持ちが落ち込んでいたり、自分に対して否定的になっている方に、自分でも何かできるという実感が持てるきっかけに、アートがなるんじゃないかと。
――これからやりたいことはなんでしょうか?
まず続けていくということが大事なので、淡々とやり続けます。それは最初から変わりませんね。続けていくうちに時代も変化していきますので、時代に合わせてアートがどんな役割を担っていくのかというところはブレずに考えながら続けていく。それしかないと思っています。 これから福祉のほうの仕事も多くなりそうなので、そこでこの思いが伝わっていくといいなと思います。
『おやすみルーシー ~ウイルスがやってきた!』
文:ルーシー & 新妻 耕太
絵:こまちだ たまお
英訳:Yicheng Liu
発行:文屋
発売:サンクチュアリ出版
https://www.e-denen.net/cms_book.php?_id=47
こまちだ たまおさんホームページ
https://www.tamart.net/komachida/index.html
たまあーと創作工房
https://www.tamart.net
所在地:千葉県長生郡一宮町一宮2553−8
千葉アール・ブリュットセンター うみのもり
https://uminomori.net
編集後記
アートを通じた繋がりの幅広さ、その一端を今回のお話で伺いました。この幅広さは、こまちださんの仕事に対する活力と徹底したコンセプトが熱源になっているのでしょう。
特に印象深かったのが「エマージェンシーが人を育てる」という言葉です。様々なことを乗り越えてこられたであろうその言葉に、柔軟さと粘り強さを感じました。 困難に行き当たったときこそ成長のチャンスですね。この言葉を折あるごとに思い出すことになりそうです。
取材・記事:高橋若余
写真:柿田京子